
京都の4大イベントといえば、
葵祭(5月)
祇園祭(7月)
大文字の送り火(8月)
時代祭(10月)
が有名ですね。
中でも
『祇園祭』で本格的な夏の始まりを、
『大文字の送り火』で夏の終わりを感じる…
と京都の人は何となく体内にインプットされている方も多いのではないでしょうか?
それだけこの二つのイベントは『京都の夏』には欠かせない行事ですね。
今年はコロナの影響で4大イベントどころか、大小ほぼ全ての行事がことごとく中止もしくは大幅な縮小で、『季節』というものを実感しづらいです。。
節目なく淡々と日ばかりが過ぎていくようで、
時が経つのが異様に早く感じるのは僕だけでしょうか?
「いつの間にか8月やん!でもそんな感じしいひんやん!」って。。。。
ここから本題です。
今回は『カナットで一番山が似合わない男』カズヒコの山ブログです^^
この間の休みの日、
久しぶりに大文字山に登りました。
大文字山は幼稚園や小学校の行事でも登山が組み込まれるほど京都人にとってはすごく身近な山です。
実際、登るとまあまあの確率で山上でお昼の弁当を食べる子供達に囲まれます(笑)
子供達だけではなく近所の人達が散歩代わりに登ることも多く、先日来の緊急事態宣言が出された頃は、密になりやすいという理由で大文字山登山も控えるように…とのお達しも出たとか。

「運動不足やし大文字でも登ろっか!」
となる人、結構いるかもです。
まあ、今回僕も半分はそんな感じでしたが。。
(あとの半分は更新が遅れていたブログのネタのためです^^;)

今はコロナ禍で京都の観光地も人はまばら。

(銀閣寺門前もひっそり)
その日も登山中や山上でもほとんど人に出会わないという、

これまで何回も登っている中では初めての経験でした。

とりあえずは『火床(ひどこ)』まで。

ここは『大』字の交わる最重要の点火台です。

(火床からの眺め)

(拡大:河原町御池方面を望む)

(大の字三画目はこんな感じ)
ご存知の方も多いと思いますが、今年の送り火は例年のように『文字』や『形』にはなりません。
『点』です。
例えば大文字ならこの中心部と頂点の6カ所。
その他の山も各1ヶ所か2ヶ所の『点』のみです。

見物する人や点火に携わる保存会の人達の密を避けるための大幅な縮小。
「大文字観るために集まらないで!」
というメッセージですね。
五山送り火は、今年に限っては大々的は『イベント』というよりは
「密集せず、お盆に迎えた先祖の霊を静かに送る」
という本来の目的に沿った最小限なものになるようです。
送り火が中止もしくは大幅縮小になるのは
1943年から1945年までの戦時中までさかのぼり、
今回のケースは異例中の異例。
ちなみにお客様から教えていただいた情報で興味が湧いて調べてみたんですが、その1943年から1945年までの3年間は、送り火が中止された代わりに当日早朝、地元の小学生の児童達が白いシャツを着て大文字山に登り、人文字で『大』を描き、英霊にラジオ体操を奉納した。というエピソードもあるようです。
当時小学生だと現在は85歳から90歳前後になっておられますね。
中止以外の五山送り火の記録としては、
日清、日露戦争に勝った時も五山送り火をしたそうです。
また、僕の記憶では、2000年12月31日に
『20世紀を送り21世紀を迎える…』
という意味合いで五山送り火が行われました。
その時、大の字を観ながら率直に
『大文字はやっぱり夏でないと。。』
と感じたのを覚えています。
寒くて(笑)
あと、大文字関連の余談として2003年に阪神タイガースが優勝した晩にファンが大文字山に登り、各々の懐中電灯で阪神のHTマークを人文字で灯したとか。
この発想(笑)
大阪の人が道頓堀にダイブするように
「京都やったら大文字やろ!」
というぐらい親しまれている⁈
証拠でしょうか^ ^
六甲おろしを絶唱しながら
浮足立ってあの登山道を登っている阪神ファンの姿を思い浮かべるだけで
笑えます。
今年は本当に大変な年になりましたが、気持ちだけは前向きに、自分なりに季節を感じたいと思います。
長かった梅雨も明け、夏本番!
皆様もくれぐれもお元気で!
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